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南画とは
南宗画と北宗画


 南画院展や墨友会展に来ていただいた方々からよく聞く質問が「南画は日本画とは違うのですか?」とか「南画と水墨画はどう違うのですか?」とういものです。美術関係の本などを調べてみても、これが決定的な解答だというものはないのですが、類似のいろいろな言葉と比較してみると、南画というものが浮き彫りになってくるようです。以下を参考にしてみるといいでしょう。

  南画はもともと中国発祥の絵画です。大和絵や浮世絵などごく少数の画派を除いて、日本画の流派の多くも中国由来のものですが、南画は中国では南宗画(なんしゅうが)と呼ばれていた絵画様式が日本に輸入されて南画という名称で発展してきたものです。

 中国では明時代の画家・董其昌が禅の南北二宗派になぞらえて絵画を南北二宗派に分類して考え、南宗画を北宗画より上位に位置づけたものです。

 南北というのは中国の国土の南北というより、北宗=職業画家(官画家、宮廷画院の画家)と南宗=文人画家(士大夫、官僚の余技)を対比したものと捉えたほうがいいでしょう。
夏珪 「渓山清遠図」部分
 宋・夏珪「渓山清遠図」(部分)  北宗画

もっとも、清時代には中国北方の黄河流域の厳しくごつごつした風景と南方揚子江流域の湿潤でゆったりとした風景とが対照的だとして、国土の気候や地勢と人の気質を結びつけ、絵にもそれが表れているというような説(沈宗騫『芥舟学画編』)もあらわれます。

 北方の画(北宗画)は鋭い輪郭線を用いた厳しい構成であり、南方の画(南宗画)は柔らかい描線を用いて、主観的写実による表現を特色とすると述べています。
 
 絵画の南北説は、いずれも南宗画の立場から南宗画の優位を主張するために書かれたものであり、実証できる根拠のあるものではありませんが、確かに、北宗画の系統の絵の多くは職業画家によるごつごつした山岳風景の絵が多く、南宗画の系統の絵はその多くが文人による湿潤なやわらかい風景の表現になっていることも事実です。

 ですから厳密な意味ではありませんが、おおむねそのような傾向があると理解しておけばいいのではないでしょうか。
  米友仁 「雲山図」部分
 宋・米友仁「雲山図」(部分)  南宗画


日本の南画


 日本への流入は北宗画のほうが早く、室町時代に雪舟が中国に渡り北宗画と院体画を学んで帰りましたし、室町時代に勃興した狩野派も北宗画の系統でした。南宗画は遅れて江戸時代の中期に長崎から上陸し、祇園南海、柳沢淇園らが学んで日本南画の礎を築きました。江戸時代中期になると池大雅、与謝蕪村らによって大成され、江戸後期に南画は文人の絵画として全盛期を迎えます。

 しかし、明治時代に入り東京美術学校(東京藝術大学の前身)設立にあたって、南画は政府の美術教育から外され、代わって北宗画系の狩野派や円山派が取り入れられます。以来、日本画の中心は狩野派、円山派系を中心に大和絵(土佐派)、浮世絵(歌川派)などの流れも汲みながら今日に至っています。

 一方、南画は政府の美術教育からは外れましたが、その後も谷文晁の流れを汲む田崎草雲、小室翆雲、渡辺崋山と崋山の流れをくむ野口幽谷、松林桂月らによって引き継がれ今日に至っています。 

日本画と南画

 
 南画が中国の南宗画を基としながらも日本独自の発展を遂げた以上、南画も日本画の一種です。上にも述べましたように、日本画の中にいくつかの流れがあると理解すればいいと思います。日本画の代表的な流派は北宗画系(狩野派、円山派など)、浮世絵系、大和絵系であり、これらが総合されて現代日本画の主流になっています。そしてもう一つの流れが南画系であるといえるでしょう。第二次世界大戦前のいわゆる近代日本画と現在の現代日本画とは画風が大きく変わっているのと同じように、南画も戦前の南画と現代南画とでは画風が大分違います。

 南画は本来水墨や水墨淡彩の山水画が中心ですが、鮮やかな色彩を施した花鳥画もあり、画風の上からこれが南画だ、と一言で言うのは難しいのが現実です。しかし、おおむね蔵鋒の運筆による柔らかい線描表現や淡墨を重ねる積墨法による表現の絵画を南画といい、露鋒の運筆を多用し、濃墨の強い線や濃彩色による表現のものを北画(北宗画系を日本では北画と呼びましたが、この言葉は最近あまり使いません)ということが多いようです。

 昔は南画も北画も中国の山水画を真似て描いていたので、つくね芋(里芋)を積み重ねたような山の表現の絵画を南画、濃彩かつ強く鋭い直線で山や岩を表現するす装飾的な絵画を狩野派などとはっきり区別できましたが、現代の日本画や南画ではこのような区別はできません。

 現代ではともに中国風の想像上の風景ではなく、日本の風景や自然の写生をもとにして日本独自の絵画を目指しているからです。むしろ、現代における両者の違いは、線を廃して面で構成する色彩豊かで装飾的な傾向の絵画が日本画で、水墨淡彩で線を重視した表現主義的な絵画が南画だと理解したほうがいいでしょう。

 

墨絵・水墨画・墨彩画と南画


 この違いもよく質問されますが、もともと言葉の持つ意味の性格が違います。墨絵、水墨画、墨彩画はいずれも使う墨や絵の具という「材料」に視点をおいて絵を分類した呼び方です。

 墨絵・水墨画と墨彩画の違いは、墨だけ使うのか、墨と絵の具の両方を使うのかという違いですし、墨絵と水墨画の違いは墨の線で描いた絵(たとえば「鳥獣戯画」のような白描画)と水分を加えて墨の濃淡を使い分けた絵との違いを指しています。

 一方、南画は狩野派や浮世絵、大和絵などのように日本画の「様式」や「流派」を表す言葉です。ですから、南画には水墨画もあれば墨彩画もあります。

 とはいえ、現在は墨を使った絵は南画よりも水墨画や墨彩画のほうが一般的に知られているようですし、水墨画や墨彩画を描いている人たちは自分たちの絵を南画とは思っていないのですから、何らかの違いがあるのだろうと思います。

 思うに現代の水墨画家や墨彩画家を標榜している人の多くは日本南画の影響の下に描いているというよりは、現代中国の絵画(国画)の影響を受けているのではないかと思います。現代中国の国画や、いわゆる南宗画と北宗画を含めた中国伝統の絵画に独自の解釈や技法を加えて、新しい中国絵画の世界を作り出していると思います。

 ですから、現代の水墨画や墨彩画には南画的な表現の絵もあれば南画的とは言えない表現の絵もあるわけです。

 やはり、日本南画の伝統は積墨法による水墨や水墨淡彩であって、特に線を重視した絵であるというのが最も近いのではないでしょうか。南画では面も幅の広い線と解釈しています。
 田崎草雲「山中観瀑」(部分)田崎草雲 「山中観瀑」部分

                                            

文人画と南画


 文人画というのは専門の職業画家でない人が描いた絵という意味です。昔の中国では士大夫(儒教的教養をもった高級官僚)が余技として描いた絵を文人画といい、まさに南宗画は文人画でもあったわけです。しかし、日本では南画家は池大雅のように職業画家も入れば、与謝蕪村のように俳人や渡辺崋山のように武士もいました。また、明治・大正・昭和の南画家はみな職業画家です。

 ですから中国の南宗画は文人画といえますが、日本の南画は純粋な文人画とはいえません。しかし、文人・知識人が目指した絵であることも確かですから、ある意味で文人画に近い絵画であるともいえるでしょう。

気韻生動


 南画は昔から「気韻生動」を旨とする絵画であるといわれてきました。これは中国絵画の要点として、昔の中国の画論(謝赫『古画品録』など)に書かれている言葉で、日本の南画家が特に好んだ考え方です。

 気韻生動という言葉の解釈は時代とともに変わり、諸説あって美術の解説書などを読んでも様々に書いてありますが、それらを要約すると「大自然の生命力を自己の精神に取り入れて生き生きと描写すること」といったようなことになります。しかし、これでは言葉としてはわかっても、具体的にどのようなことかよくわかりません。

 現代の絵を描く人間としては、そのような抽象的なことよりも、「対象が瞬間的に見せる動きや表情を的確に表現すること」だと考えたほうがよいと思います。自然風景(山水)であれば刻々と変化する気象や光の中でその風景の最も象徴的な姿をとらえることですし、鳥や動物であればその鳥や動物が瞬間的に見せる独特の動きを表現することです。花であれば、その花が持つ最も美しく見える瞬間の姿を写し取ることですし、人物であればその人の人となりが表れる一瞬の表情や姿をとらえて表現することであろうと考えます。

 このように考えると、洋の東西を問わずこれまで名画といわれてきた絵はどれもそのような瞬間の動きをとらえて見事に表現していることに気づきます。ですから気韻生動ということはなにも中国絵画や南画の専売特許ではありませんが、南画が気韻生動を旨とするのは現代においても大切なことだと思います。
 元・呉鎮「風竹図」呉鎮 「風竹図」

 

写意の画


 写実に対して写意という言葉があります。写意とは心の内を写すという意味です。写実が対象の形態や色彩を正確に写し取ることであるのに対し、写意は外形や色彩にとらわれることなく、対象のエッセンスを自分が感じたまま自由に表現することであり、多くは略筆で端的な表現になります。

 南画は一般的に写意の画であるといわれますが、必ずしもそうとばかりはいえません。渡辺崋山のように写実を旨とした南画家もいます。本来、外形や色彩をきちんと表現するのは絵画の基本です。

 しかし、自然の風景や花鳥を水墨で表すこと自体がすでに写実とはいえないので、南画は写実よりはむしろ写意を目指した画であるといえるでしょう。

 写意であるということはとりもなおさず個性の表現、つまり表現主義ですから、ある意味で南画は表現主義の絵画だと言えるのです。
谷 文晁「芙蓉図」谷文晁「芙蓉図」

                               

南画の線と表現


 もうひとつ、中国の南宗画では画は書に通じるといいます。これは画の筆法が書の筆法と同じであることから出た言葉です。書では「永」の字に基本の筆法が含まれているといいますが、画の筆法も同じだというのです。ただ、画の場合は下から上へ引く線もありますから、完全に一致しているわけではありません。

 しかし、要は画も線で描くのだということです。油絵や現代日本画では線で描くというよりも絵の具で面を塗るといったほうが適していますから、線で描くのは中国絵画や南画の特色であるといえるでしょう。先にも述べましたように、南画では面も幅の広い線という解釈をします。

 現実の物体には線は存在しないし、物と物の境界に線はないのだから線で表すのはおかしい、光による陰影によって表すべきだというのが油絵や現代日本画の考え方です。しかし、南画の線は単に物と物の境界の線(輪郭線)ではありません。線にこそ作者の意志や個性が込められている、つまり線は内面表現の重要な要素であると考えます。

 ですから、南画の線は単に輪郭を示す線ではなく、抑揚や勢いのある線になっているわけです。今日では、油絵や現代日本画のように合理主義、写実主義的な考えで絵を描くことが主流になっていますが、南画はあくまで線による表現主義的な絵画を目指しているのです。


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